Saturday, September 29, 2007

西表島編5

船に乗り込み、浦内まで10分ほどの小クルーズ。到着と同時にコーラで祝杯。もうこれで歩かんでええわと思っていたら、帰りのバス停まで数100mを歩くはめに。バックパックが肩ごと下に落ちるんじゃないかと思うほど深く食い込む。痙攣してるので不思議と痛くない。 バス停に着くと、なんと大富へ帰る最終便が去った後。途方に暮れているとさっきの超人二人が車で帰るところに遭遇。渾身の困った表情で見つめてみたら、「乗ってく?」と神様みたいな言葉を頂きありがたく乗せていただいた。帰りの車中、俺達が腰を降ろして休んでいた場所にハブが大量発生していたとか、彼らは決して山の水を飲まない、なぜならねずみの菌に汚染されているからだ、とか死人に鞭打つような楽しい話をしてくれた。一週間以内に目の白いところが黄色くなって、高熱が続いたら間違いなく西表病だから病院にいってね、とアドバイスを頂いた。痩せ我慢して飲まなかった相方は手をたたいて喜んでる。 ぐったりして朝出た宿に突然の凱旋帰宿。心配性の宿のおばはんはあまりの早いお帰りに驚いてた。 その日は外に出る気力は無く、宿でちょっと豪華な晩御飯を食べた。今日は宿の米蔵を食い尽くすと意気込み、山盛りご飯を3杯ずつ平らげ、連絡係の友人に無事の帰還を伝え、そのまま爆睡。夜中3回ほど足がつって目が覚めた。徐々にやり遂げた充実感がこみ上げてくる。生きて帰れてよかった。本気で死ぬチャンスが何度かあった。崩れてどろどろになった崖伝いに歩いている途中、2度ほど足を滑らしロープにしがみついて20kgのリュックと格闘したこともあった。毎年両親が探しに来る彼は、あの崖の下にいたのかもしれない。

西表島編4

予定通り朝5時に起床。下戸の俺はビール一缶でぐっすりよく眠れた。五時半に真っ暗な中出発、一時間かけて大富登山道を目指す。真っ暗なのでヘッドライトで地図を照らしながら、一度道を間違えながら、道の真ん中をのそのそ歩く亀をふんずけそうになりながら、なんとか登山道に到着。持参した弁当とコーヒーで朝食。朝日が顔を出し、俺達の出発を激励するような真っ赤な朝日を拝みながらカツ丼を食べた。今日は晴れそうだ。美しい朝が、不安な俺達のテンションを一気に上げてくれる。朝7時、登山道から元気よく出発した。 長い長い道のり、約10時間歩き続けた。道は険しく、台風のせいで登山道は崩れ、目印はなくなり、進むべき道が分かりにくい。2時間ごとに休憩をとり、眺めのよい展望台の景色に元気付けられつつ慎重に進む。休憩食で一番役に立ったのは、広島から持参したプロテインと沖縄黒砂糖。甘いものは元気がでる。やがて持ってきた水は底をつき、我慢できなくなった俺は滝の水をナイロン袋に受け、端を切り取りそこからペットボトルにためて飲む。相方は頑として飲まなかったが、強がって20kgの荷物を背負っていた俺は相当疲労していた。 少しずつ体力を奪われ、残り後7~8kmのところで遂に俺がダウン。最終の便が出る16:30にとてもじゃないが間に合わす気力がなかった。本気で山中ビパークを決意した俺は、「頼む、俺を見捨ててお前だけでも船に乗ってくれ」と弱音を吐いてしまった。ちょうど通りかかった二人組みのおっちゃんトレッカーが「後2時間程だよ」との情報をくれた。彼らはこの島の自然に惚れ移住してきたおっちゃんとその親戚。ちっちゃいリュックのみの軽装で、マラソンみたいなペースで歩いてる。彼らは腰を下ろすことなく話し終えるとさっさと追い抜いて行ってしまった。彼らを見送りながら、実は体力馬鹿な相方が「俺が重いほうの荷物持つからいこうや」ともう乗りのり。しかたなく重い重い体を引き起こし、荷物を軽いほうに変えてもらい、再びのろのろと歩き出す。そのとき14時前、なんとか間に合うかも。 甘かった。2時間とはこの登山道になれた超人二人のものさしで、俺らにはかなりのハイペース。まだまだ元気な相方の背中を追いかけ、やけくそになって歩き続けた。トレッキングハイ状態で、意識が朦朧としてきて、休まず前を突き進む相方の背中を睨みつけつつ「追いついたら、こいつを刺し殺そう。そしたら休める」と危険なことで頭が一杯だったのを覚えている。後で聞いたが、友人は殺人者級の形相で追ってくる俺の顔が恐くて必死で逃げていたそうだ。 そんなこなで最終便の出る30分前に無事到着。最後の見せ場なんたらの滝などゆっくり見る余裕など無く、船着場へまっしぐらに歩ききった。 死ぬかと思った。

Wednesday, August 29, 2007

西表島編3

それでもあえて俺達はトレッキングを決行した。山中は携帯が通じない。駐在所のおっさんは、宿の人か家族に下山日時を伝え、下山したら電話するという約束をし、約束の時間になっても電話がなければその人から駐在所に連絡が来るよう頼んでおけとのこと。宿に帰っておっさんに「とめても無駄じゃ、俺達はやっぱり行くぜ!明日の21時には帰ってくるぜ。でももしものときは駐在所に連絡してね」と頼むと、あっさり「そんなのいやさー」と断られた。心配しながらその日一日過ごすのは嫌なのだそうだ。納得。そこで一番親しい友人に連絡し、その役を依頼した。家族に頼めば要らぬ心配をかけるに違いない。 さーこれで一段落。やっと本格的にトレッキングの準備に取り掛かれると思ったら、新たな問題が浮上。 ルートは宿から歩いて一時間のところにある大富登山道(島南東部)入り口から浦内(島北西部)へ抜ける約25キロの道のりを計画していた。大富から浦内の間はただのジャングル、一切街の機能を持ちません。しかし最後の軍艦岩というところから浦内までの5kmの区間は道なき山に挟まれた川になっていて、船かカヤックしか通行できないとのこと。しかも定期便の最終は16時。仮に軍艦岩まで8時間で行けたとして、遅くても朝8時には大富登山道を出発する必要がある。宿を7時に出てもぎりぎりで、8時間以上かかると山中に取り残され、携帯が通じないので俺達は遭難者とみなされ、島中の人が探しにきてしまう。 俺達は自分の健脚ぶりを信じ、朝5時に宿を出発する日帰りの計画を立てた。一応山中に取り残されることも想定して連絡係りの友人には一泊して帰ると伝え、装備もテントと寝袋、1泊2日分の食料をもって入山することにした。登山経験が少しあった俺のカバンは約20kg。登山経験ゼロの相方のカバンは約10kg。くそ重い一眼レフカメラは諦めた。大自然を撮影してやろうと大金叩いて買ってきたが、雨が降れば間違いなく壊れるし、何より少しでも荷物を減らしすばやく楽に移動することが求められた。 オリオンビールを飲みつつ二人で決起集会を行い、スタミナ確保のため一人二人前の弁当をかき込み、身近な人へこれまでお世話になったお礼の電話を済ませた。先立つ不幸をお許し下さい。サバイバル気分が盛り上がってきた。

西表島編2

宿のおっさんやスーパーのおばはんたちと話をするうちに、西表縦断はマジで危険だとということが判明。軽いノリでやってきたお馬鹿な俺達も、さすがに最悪のケース、遭難に備えることにした。まず大原の駐在所と営林署を訪ね、こちらの登山の計画を提出。下山予定時刻になっても連絡がなければ探しに来てね、というお願いをするのである。駐在所にはこれ見よがしに遭難者、行方不明者のビラが貼ってある。「この人は2年前に失踪して、今でも毎年ご両親が探しにくるさー」ときた。下山が遅いと分かったら、島中の人の協力を得て、登山口と下山口から最低8時間はかかる登山道の大捜索活動が行われる。探しに行く人はもちろん、探しに行く人の家族やその人達のために炊き出しする人にとっては大きな負担をかけることになるらしい。今までも旅行者の軽率な行為が多くの島民に迷惑と心配をかけてきたらしい。宿の親父があんなに反対した理由が理解できた。

西表島編

与那国→石垣→西表島大原港。ここへきた目的は西表山猫鍋をするため、というのは冗談で今回の旅一番のイベントである東洋のガラパゴス島縦断トレッキングをするためにやってきた。山やトレッキングの知識がほとんどない二人、いつものようにたいした準備もせず、「ま、俺らならやれるやろ」みたいなのりのまま現地入り。まず宿に着いて宿の主人から情報収集、しかしいきなり「お前らには無理や。何か合ったら島の人間に迷惑がかかるし悪いこと言わんからやめとけ」とのこと。予想外の言葉にいきなり意気消沈。ここまで来て簡単に引き下がるわけにはいかないのでその後も情報収集を続けていると、8時間で縦断できるという人や、日帰りでは不可能だという人まで人によってまちまち。しかも直近の台風の影響でコースは崩れ、ただでさえ遭難者が続出する危険なコースがさらに危険な状態らしい。雨が降れば動けなくなる可能性大。現地の人達から情報収集するうちに本気で不安になり、直前になって計画続行か中止か真剣に二人で話し合った。 気分転換に港に戻ると虹がでていた。明日は晴れそうだ。

Thursday, August 23, 2007

与那国編おまけ

~酒の上手な飲み方十か条~ 1.笑いながらう共に、楽しく飲もう。 2.自分のペースでゆっくりと。 3.食べながら飲む習慣を。 4.自分の適量にとどめよう。 5.週に二日は休肝日を。 6.人に酒の無理強いをしない。 7.薬と一緒には飲まない。 8.遅くとも夜12時には切り上げよう。 9.肝臓などの定期検査を。 10.一気飲みをしない。 和田

与那国編おまけ

白衣発見、我慢できずについつい。 先生の好物、ヤシガニラーメン。

与那国編おまけ

例の先生が乗ってたチャリンコ。 西表に移動する前に、与那国でとった写真をもう少し。ここは例の診察室。

Sunday, July 15, 2007

与那国編13

与那国島は石垣島から西へ100kmちょい。台湾までも100kmちょい。あいにくの天気で2006年最後に沈む夕日を拝むことはできませんでしたが、日本最西端の地を踏破し、釣りや銛漁を満喫し、泡盛飲みつつのんびりすごすことができました。 この日は元旦、朝から雨のなか元気にテントを撤収し、飛行機で石垣島へ。今度は東洋のガラパゴス西表島へ移動します。

与那国編12

ハリセンボン。途中釣りをしました。毎日自給自足が目標ですが、結果は旅行通して5%にも達せず。3匹ほどちいちゃな魚を釣り上げ宿に到着。実はその日は大晦日。宿の近所の人たちも集まり、宴会が始まってました。僕達が釣った魚は宿のおっちゃんが振舞ってくれた鍋の出汁になりました。一応年越しそばらしきものを食べ、カウントダウンすべくビーチへ移動。花火を準備し、泡盛片手に音楽聴きながらビーチで年越しを待つ。2時間ほどすると酔いが回り、待ちきれなくなって花火に点火。一通り終わるとまた飲み始め、すっかり酔っ払った俺は年越しを待ちきれず一人宿に帰って就寝。後で聞いたんだけど、年越し直前に雨が降り出すわ、一人(俺)が行方不明になるわで皆さん年越しどころじゃなかったらしい。とぅんまてーん。

与那国編11

そして日本国最西端の地制覇。

与那国編10

ちょっとミーハーですが、Dr.コトーの撮影現場、志木那島診療所も見学。こっそり中に忍び込み、実際に撮影で使われた白衣を着てみたりチャリンコ乗ってみたり・・・満喫しました。

与那国編9

馬もいます。

与那国編8

次の日宿で知り合った人も加わってレンタカー借りて島一周。八重山諸島では牧場がたくさんあり、石垣島には地元産の牛肉を食べさせてくれる焼肉屋が数多くあります。松坂牛や神戸牛などの知名度の高い国産牛も、元を辿れば八重山の牛を運び放牧したのが始まりらしいです。

与那国編7

地元煙草、うるま。

Saturday, July 14, 2007

与那国編6

この日はテントゲストハウスの庭を借りてテント泊。体力の続く限りテント泊で旅費を節約しようとテントを持ち込んだが、八重山諸島は人けのないジャングルや山などでの自殺者が後を絶たないため、限られた場所でのみテント泊が許されてます。

与那国編5

ヘロヘロになりながら無事与那国島に上陸。宿のおばちゃんが港まで送迎してくれのどかな風景の中宿までドライブ。宿到着後歩いて五分のところにビーチがあり、しかも宿には釣セットと一緒に銛(もり)があることが発覚。サバイバル生活に憧れる二人に我慢できるはずなく、休むまもなく海パンはいて荷物を放り投げ海へダッシュ。今晩のおかずを物色中。

与那国編4

快調な船旅を楽しだのはほんの30分ほど。一通り写真を撮り終えるとすることなくなって読書。全長70mはあろうかという結構大きな船なので大きな揺れはない。でもじっとしているとゆったりとした左右への規則的なゆれがあることに気づく。夜遊び、朝焼酎、読書のトリプルパンチで残り3時間は船酔いとの戦いだった。朝食べてもの全部でたわ。友人は経験者ぶってベンチに体を固定して寝そべっていたため船酔いはなかったみたいだが、硬いベンチに長時間へばりついていたため腰痛発症、撃沈!

与那国編3

もう一枚。輝く海面と紺碧の空。天気に恵まれ船旅の出だしは快調そのものでした。

与那国編2

快晴。沖縄ならではの眩い光、綺麗な雲、青い空。

与那国編

2006年最後の夕日を、最西端で一番最後に沈む夕日を見ようということで年末年始は日本で最西端の有人島、与那国島で過ごすことにしました。与那国へは大型フェリーで4時間かけて移動しました。第一回石垣島打ち上げということで前の晩は少々はしゃぎ過ぎまして、朝起きても気分がすぐれずやけくそ向かい酒。その一杯が命取り。これから始まる船旅で地獄をみることに。。。時間ぎりぎりにフェリーへ駆け込みなんとか一路与那国へ向かいます。

石垣編8

さて問題です。石垣島はどれくらい遠くにあるのでしょうか? <答え>稚内2820km, 東京1950km, 大阪1590km, 香港1100km, フィリピン1220km.... 台湾220km。

石垣編7

コンビニです。

Monday, January 08, 2007

お知らせ BBS作成。

突然ですが、bloggerはIDを持ってないと直接書き込みができまへん。 BBSのリンクつけてみました。右側のlinksにリンクがあります。ご活用いただければ幸いです。ちなみにURLは以下の通りです。 http://bbs11.fc2.com/php/e.php/~chonmagenz/ ***News! you can give me massages from the URL above or "写真掲示板書き込み" in my LINKS on your right side. looking forward to hearing from you.

石垣編6

二日酔いの友人、長旅+突然の強引テンションアップでぐったりの俺、今度は東へ男二人白保崎ビーチでのんびりと。なんとなく焚き火が始まりぼそぼそと半年間の空白を埋めるべくしゃべる。写真はビーチに根付く潅木。近くに新空港ができるそうです。

石垣編5

泡盛。

石垣編4

そうそう。これが例のしめ縄です。どこで買ってきたんやろ?僕の頭からバックパックに移動し、旅の間僕達の安全を守ってくれたので一応ご利益有りということで。

石垣編3

なんとか車に乗せてもらい、一路北へ20分川平ビーチへ。天気は快晴。冬でも昼間は20度前後になる八重山、しかし周りに風を遮るものがないため冷たい風が吹いてます。が!昼食にカツどん島そばセットをかき込みお約束で服を脱ぎ捨て海へダッシュ。外は寒いけど海水は温かく透き通った青!ちなみに一緒にいた友人は寒さにびびって泳げず撃沈!ちっちゃい男や。

石垣編2

福岡発、那覇経由石垣空港。バス泊、二度の飛行機離発着を経て、家を出てから約12時間、先に石垣島入りしていた友人とやっとこさ合流。車で出迎えをお願いしてました。しかし案の定ただでは出迎えてくれない彼。空港着いたら”めんそーる!次期総理大臣OOO(俺の名前)様”とでっかく書かれた紙を持った見知らぬ人がいて、写真の手紙をそっと手渡しダッシュで逃げてった。そしてまんまとその手紙の指令に従い見知らぬ土地でしめ縄を被りおろおろする俺。その様子をビデオ撮影(&爆笑)しながら近づいてくる奴は筋金入りのアホです。この先思いやられるわ。

石垣島編

年末のバタバタをなんとか片付け(放り投げ)、一路八重山離島の玄関口石垣島へ。飛行機からの眺めはいつ見ても綺麗だと思いませんか?

八重山諸島放浪記

年に一度の贅沢、年末年始会社の休みプラス年休一日を費やし8泊9日(バス車内泊込)で八重山諸島を旅してきました。写真は石垣島の石垣と赤瓦。

有意義な休日12

早朝ゴルフに始まった休日、最後は花水木でのんびり過ごし心も体もリフレッシュ。有意義に過ごすことができました。土師ダム近辺にお出かけの際は、是非”花水木”に立ち寄ってみては如何でしょうか?場所は吉田方面から土師ダム行きの県道へ→土師ダム過ぎたところで県道から湖岸道路にそれ少し走ると見つかるはずです。

有意義な休日11

一人でコーヒー一杯、ハヤシライスのみで長時間入り浸る有難くない客にもかかわらず、店内の撮影を快諾してくださったマスター、ありがとうございました。帰り際外から店の外観を撮影しようとしたら、店の照明を全部つけてくれました。階段上った先にある入り口。

有意義な休日10

入り口横のでっかいドーナツ?の焼き物。何をイメージして作ってらっしゃるのでしょうか?

有意義な休日9

白壁、木の柱、木製の家具に囲まれ、温かい色の照明に照られ落ち着いた雰囲気の店内です。

有意義な休日8

店内の様子をもう少し紹介します。

有意義な休日7

焚き火好き炎好きの憧れ、暖炉があります。あまりの居心地のよさに一人で4時間近く居座ったので小腹がすきまして、ハヤシライスを注文。

有意義な休日6

渋いっしょ。あの棚の一番上、丸いのはなんなのでしょうか?ドーナツ?

有意義な休日5

店内の様子。まず目に飛び込んでくるのがマスター作の渋い食器や陶器等。店内いたるところに展示されてます。

有意義な休日4

マスターは陶芸家さん。店内にはご友人の油絵描きさんのギャラリーがありました。

有意義な休日3

少し肌寒いけど、テラスでの一服が気持ちいい。嫌がる人に気を遣わず煙草吸えますし。各テーブルにスケッチブックと鉛筆があります。僕もカメラの絵を描いてみました。

有意義な休日2

年末バタバタとしておりました。年末年始の八重山諸島放浪を終え、やっと続きを書こうかと。 そうそう。偶然見つけた土師ダム沿いにあるいい喫茶店”花水木”。一人でも結構入りやすい。とりあえずコーヒーとタバコで一服。